ダンブルドア先生に憧れて
人生の意味を考えるのが好きだ。
それは、多分、人生に本質的意味はなく、それを探し求め、意味づけしていくことに価値があると考えているからだと思う。
人生に何度も絶望し、「消えたい」と思ったりもするけど、人生の意味を考えるのはやめていない。
誰にでもあることだろうけれど。
ちょっと自分の場合は他の人よりその回数が多いんじゃないかと、思春期の延長上でぼんやりと思う。
まあ、そんなこんなで今まで生きてきた。
紆余曲折あった後、現在は大学生である。
そんな自分は、人生に希望を抱けないことも多いけれど、楽しみにしていることはある。
それは、ひとえに本のお陰であり、フィクションが命綱のように自分を惹き付けてやまないということだ。
「本」という媒体が好きで、年間365冊ほど読んでいる。
どんなジャンルでも大体読む。
小説はもちろん、ノンフィクション、伝記、歴史書、詩集、洋書、新書、専門書、雑誌……。
趣味で数学を解いたりもする。
そういう風にできるのは、「憧れ」があるからに他ならない。
僕の読書体験は「ハリー・ポッター」を小学生の時に読んでから始まったのだが、
あの時信じられないほどの興奮と共に、
ダンブルドア先生に憧れたのだ。
小学生だから、もちろんダンブルドア先生の真似をした。バカみたいに痛々しく、「賢者になるとは」と僕は考え、そのように振る舞っていたのだ。
その中二病的憧れは未だ治らず、こうして賢しげを気取ったブログを書き出してしまうほどには、ああなりたい、と望んでいる。